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習慣について

およそ習慣と称するものは、反復した行動にほかならないと私は考える。
これは習慣が実のところ自分自身を知るために必要な要素の一つではないかとも言えるのである。
人はその言質ではなくその行動によって意志を表すものである。優れた言質を持ってしても彼は自分自身を表現することは難しい。
世間に見る人の多くはその行動によって自分を表現している。その表現されたものの中で特に反復されたものを習慣と呼ぶ。
そして、この習慣をより良いものにしようと努めることこそ私が目指そうとする姿なのである。
良い習慣と悪い習慣とがある場合、出来る限り意識的に悪い習慣を省き、良い習慣を努めて増やそうという志を私は持ち続けよう。
多くの場合悪い習慣は私たちの心を誘惑する。それはあの蛇が我々の母たるイヴを唆した時の様である。その誘惑に決して負けることのないよう、努めて心がけていこう。そしてもし心折れて誘惑に負けた時があったとしても、その事に心奪われるのではなく、その反復を阻止しようという意志を持とう。習慣が行動の反復である限り、それは自らの意志で断ち切ることの出来るものでもあると言えよう。ならば良き習慣は続け、悪しき習慣は断ち、自らを自らの意志する姿に変えていくことが私たちには出来る筈なのである。
良き習慣を増やそうと考えるならば、一つのことを絶えず反復し続けるというただ一つの方法によれば良いのである。何を習慣にするかを自らの内で考えて、少しずつでも反復するよう心がける事で我々は良き姿に変わることができる。
反復は力である。それは良き習慣の下ではより良い人生を約束してくれる。
拙くとも続けることは何においても重要視されて良い事柄である。
それはしばし修練という形で持って我々の下に訪うかも知れない。
もしそうだとしても、私は私にとって良き習慣と思われるならばそれに身を投じて、より良き習慣を手に入れるために修練しようと考える。


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